大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和24年(ワ)2385号 判決 1960年7月19日

原告 庄田幾久男 外二七名

被告 国 外一名

訴訟代理人 岡本元夫 外一名

主文

被告等は各自

原告庄田幾久男に対し金千百十一万七千七百九十五円、

原告沼尾広之助に対し金五百四十五万三百九十八円、

原告斎藤伊代子に対し金百七十三万四千三百四十二円、

原告檜山全孝に対し金三十万二千九百七円、

原告須田銀三に対し金三十九万九千四百三十五円、

原告阿久津要次郎に対し金二十五万千九百二円、

原告青木広治に対し金十万千四十二円、

原告堀内シヅに対し金十万百九十三円、

原告堀内ミツに対し金一万二千六百二十三円、

原告堀内キヨに対し金一万二千六百二十三円、

原告沼尾トンに対し金十二万八千四百二十円、

原告井口ハツに対し金十万九千八百二十五円、

原告川村清八に対し金二千五百八十円、

原告荒井仁平に対し金一万九千八百二十九円、

原告根本豊に対し金十七万四千四百六十円、

原告益子一恵に対し金一万四千六百八十四円、

原告益子定幸、益子ヤス、益子次郎に対し各金九千七百八十九円、

原告池田祐三郎に対し金十七万七千九百八十九円、

原告沼尾周次郎に対し金三十二万三千六百一円、

原告山田吉美に対し金十七万二千八百七十八円、

原告大綱秀子に対し金四万千六百五十円、

原告鈴木正男に対し金二万二百円、

原告渡辺フヂに対し金六千九十円、

原告飯田ヒサに対し金八千五百七十円、

及び右各金員に対する昭和二十四年七月三日以降各完済までの年五分の金員を支払へ。

原告川村ゼン原告古賀訓令の本訴の請求並に右両名を除くその余の原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを十分し、その一を原告等の連帯負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告等は各自、各原告に対し別表記載の各該当金員とそれぞれ右各金員に対する昭和二十四年七月三日以降各完済までの年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

(一)  原告庄田幾久男は別紙目録第一(い)の建物を所有し、右建物を使用して「山水閣ホテル」と称する温泉旅館を経営して来たが、

(二)  昭和二十一年六月一日右建物を、営業用設備、什器、器具等附随のまま、米国第八軍の保健寮として接収され、原告庄田は右保健寮としてのホテル経営を被告国から請負ひ、その経営に従事した。

(三)  右接収による法律関係は西暦千九百四十九年九月三日附連合国軍の指令第二号により連合国軍から日本政府に調達要求があり右要求に応ずるため国の機関としての栃木県知事と原告庄田との間に接収解除に至るまでを期間とする「企業の賃貸借」とも称すべき建物並に附属設備什器、器具等の賃貸借を含む請負に類する一種の無名契約が成立したものである。

(四)  前示接収後のホテル事業に従事する従業員の宿舎として、被告国の斡旋により昭和二十一年九月一日原告庄田は訴外日本鉱業株式会社より、その所有に係る栃木県塩谷郡藤原町大字滝四百五十三番地所在木造トタン葺二階建一棟建坪六十八坪二合五勺の建物を賃借したが、

(五)  同日栃木県知事は被告国の機関として日産土木株式会社(被告会社に吸収合併された)に対し、右建物にボイラー室並に煙突設備を含む改造工事を施行することを指命し、

(六)  右指令を受けた日産土木株式会社は右指令に応じてその工事を請負ひ、栃木県営繕課の指揮監督の下に工事設計並に施行をなし、昭和二十一年十二月三十日竣工したので、原告庄田方の男子従業員約五十名は右建物(宿舎)に入居した。

(七)  ところが昭和二十二年一月四日午後十時頃右宿舎より出火し、その火災により原告等(後記の如く、原告堀内シヅ、ミツ、キヨについてはその先代堀内光次、原告益子一恵、定幸、ヤス、次郎についてはその先代益子信義を指称する)は類焼の災厄を受け、これがため、後記の如くそれぞれ損害を蒙つたが、

(八)  右損害を発生させた火災の原因は日産土木株式会社が原告庄田方の従業員の宿舎となつた建物の地階約十五坪の物置を浴場に改造し、そのボイラー室に設置した温水ボイラーの屋外煙突の施工方法の瑕疵に困るものである。

(九)  その構造、設置場所を詳述すれば

(イ)  右従業員宿舎の浴場、ボイラー室等は、宿舎母屋の下屋の地下室にあるものであるが、この地下室は前述のように、物置を改造したもので、その西側、北側及び南側の一部は石崖で地表の道路面より約六尺低い×形の平地にある。

(ロ)  ボイラー室は右地下室の東北隅約一坪の部分で、床はコンークリート、内部の周囲は出入口の硝子戸を除き高さ三尺のモルタル塗腰壁となつており、その上部は窓の部分を除き、亜鉛鉄板張り、天井も同様である。床面より天井までの高さは六尺七、八寸で、東側モルタル塗腰壁の上、高さ三尺、横六尺の部分が窓となつているが、その部分のうち、室内より向つて右半分三尺四方の部分に波型鉄板を張り、この鉄板を貫通して水平にボイラーの煙突が外側に突き出してある。

(ハ)  ボイラーはボイラー室の東南隅コンクリートの床上に、高さ約二寸のコンクリートの基礎を作り、その基礎の上にボイラーの外側と東側モルタル塗腰壁との距離三寸五分、南側モルタル塗腰壁との距離七寸の位置に、炎口を西側に向けて据付けてある。

(ニ)  ボイラーは直径一尺九寸五分、高さ四尺五分の円筒型のもので、この上部から「立上り煙突」があるが、その煙突の中心はボイラーの円筒の中心とは一致しない。覗穴、炎口等のある側より五寸八分の点に煙突の中心点があり、その煙突は直径五寸九分長さ二寸五分の円筒型のものである。

(ホ)  前述の(ロ)の水平煙突が波型鉄板を貫通する部分は、その鉄板の中央より稍右寄りの部分で、床面より高さ五尺の点を中心として直径七、八寸の穴を穿ち、この穴に厚さ一粍、直径六寸、長さ三尺の円筒型鉄板煙突を水平に貫通し、一端を屋外に出し、屋内の一端をボイラーの「立上り煙突」に取り付け、その煙突の屋内の部分並にボイラーに保温粘土を塗つてある。

(ヘ)  ボイラー室の東側の外側羽目板と隣家の一心館ホテル(原告沼尾広之助方)の高さ約十二尺八寸(そのうち、二尺八寸はコンクリートの基礎となつているが)との距離は二尺二、三寸で、その中間に地上約五尺の高さの支柱(やぐら)を設け、これを台として屋内より水平に突き出した前示煙突を支へ、この煙突に厚さ一粍直径六寸の鉄板製円筒を嵌め込み、長さ約三十八尺の垂直煙突を取付けたが、右煙突の上部は下屋の屋根の庇と衝突するので、右屋根の軒先を直径約八寸の半月形に切取り煙突を立てた。その切取つた部分の屋根の切り口と、この部分を通過する煙突の外側との距離は二寸と離れてはいない程度のものである。

(ト)  下屋の屋根は、垂木の上に古板を打ち、その上を杉皮で葺きその上を更に焼トタンで葺いたものである。

(十)  前述(八)の浴場は、山水閣ホテル従業員百余名の入浴のためのもので、その入浴時は一定しているものではなく、連合国軍に対するサービスの暇をみて入浴する関係上、毎日午前十時頃から午後十時頃までボイラーを焚き続けなければならないもので、一般家庭用のものとは異り寧ろ公衆浴場に準じて考えられるものである。

右の点より(九)に述べたボイラーの構造並に設置場所を検討すると

(a)  先づ外部の煙突の設置場所は、ボイラー室の外側の羽目板と隣家の一心舘ホテルの高さ二間に余る板塀との僅か二尺二、三寸の間隙に、長時間に亘り使用する直径六寸の鉄板製煙突を設けたのであるが、かような狭隘な換気の不十分な場所に可燃物との距離が僅か七、八寸の位置に煙突を設置すれば羽目板や板塀が煙突から受ける輻射熱は散逸し難く、受熱点の木材質は変化し、煙突の下部で加熱された空気は煙突に沿つて上昇し、木材質の乾燥と分解を促進し、発火し易い状態となることは、工事施行者としては容易に知り得べきものであるからかかる場所に煙突の設置をなすべきものではなかつたのであるが、

(b)  已むを得ないで、右場所に煙突を設置する場合にも、右のように羽目板又は板塀に近接する狭隘な場所に煙突を設ける場合には、煙突の資材を厳選し、優良な石綿製のものを使用し継手の補強には鉄棒をもつて煙突を挾んで固結する等の方法を講ずべきであり、周囲に熱を伝導、輻射し易い薄い鉄板製煙突を使用すれば、(a)に述べたような発火し易い状態となることは施工者に容易に知り得た筈であるから鉄板製の煙突の如きは、これを避けるべきであつた。

(c)  しかも煙突の施設については、他にも注意に欠けるところがあつた。煙突は(九)の(ヘ)で述べたように地上十九尺の高さのところで、下屋の庇の軒先を半月形に切取つた部分を通過するのであるが、庇の切口と煙突の外側とは二寸にも足らないし切口には引火し易い杉皮もあるので、多少の風にも煙突が揺れて庇の切口に接着することは明であり煙突が鉄板製のものであることを考慮すれば、右状態の下では庇に引火し易いことは容易に知り得るわけであるから、この点について防火に必要な措置を施工者において講じて置くべきものであつたのに、何等の配慮も払はれていなかつた。

(十一)  本件火災は、室外の垂直煙突の輻射熱及び煙突下部からの上昇熱に因り下屋の庇の切口周辺の木質部分が加熱され、乾燥並に分解して可燃度を増大させていたところへ、更に煙突からの輻射熱又は煙突の風による切口への接触等によりこの部分に発火を見るに至り、出火したものであり、仮に右部位で発火したものではないとしても、煙突に近接する部分のボイラー室の外側の羽目板が煙突よりの輻射熱により前述の理によつて発火するに至り、出火したものであるから、火災は工事施行上の重大な過失に因り惹起されたものである。

(十二)  ところで(九)の(イ)乃至(ヘ)の工事は(五)(六)に述べたところにより施行されたものであるから、右工事施行者は被告国であり、同被告は民法第四十四条第一項第七百九条により原告等(原告の一部のものについて先代を指すことは(七)で述べた通り)が本件火災によつて受けた損害を賠償する義務があり、仮に不法行為の行為者には該当しないとしても工事の実施者である当時の日産土木株式会社の使用主として同法第七百十五条に基く、損害賠償の責がある。

若し右の主張が理由がないとされるときは、本件ボイラー室の工事が施行された山水閣ホテル従業員宿舎の建物は(四)で述べたように、原告庄田が借主となり賃借したものではあるが、右建物は原告所有の山水閣ホテルが米国第八軍に接収され、同軍の保健寮として経営されるについて、その経営に使用される従業員の宿舎に充てるため、被告国の機関としての栃木県知事がその借入れ、賃料、賃借期間の取極め、改造工事等一切の取り計らいをしたもので、実質的には右建物も接収されたのと異なることなく、その事実上の支配は被告国にあつたのであるからその建物の占有者は被告国であり、原告庄田は被告国のために建物を所持していた関係にあるのであるが、本件浴場並にこれに附随する設備を含む改造工事は昭和二十一年十二月三十日に完成して日産土木株式会社から被告国に引渡されたので、浴場、ボイラー、煙突等の施設は、右引渡の日から被告国の所有並に占有に帰したものであり、右施設はこれを包括して民法第七百十七条第一項所定の工作物に該当し、本件火災は前述の如く煙突設備の瑕疵に起因するものであるから、火災によつて原告等(一部原告についてはその先代を指す)の受けた損害は被告国において、瑕疵ある工作物の占有者又は所有者として、これを賠償する責がある。

(十三)  日産土木株式会社は(五)(六)に述べたように栃木県知事より建物改造工事の指令を受け、その指令に応じてその工事を請負ひ、工事を実施したものであるが、その工事実施につき、ボイラーの煙突につき(十)の(a)乃至(c)の過失をなしたものであるから商法第二百六十一条第三項第七十八条第二項民法第四十四条第一項第七百九条に基き、被告国と共同不法行為をなしたものとして本件火災により原告等(原告等の一部についてはその先代)の受けた損害を賠償する責があり、仮に不法行為の直接の行為者には該当しないとしても、現実に工事の施行に当つた同会社の被用者訴外青野英隆の使用主として同法第七百十五条に基く損害賠償の責を負うものであるところ、

(十四)  日産土木株式会社は昭和二十七年二月二十八日被告日産建設株式会社に吸収(併呑)合併されたので、前者の権利義務は後者に承継された。

従つて前示損害賠償の責も被告会社に承継されたのである。

(十五)  ところで、本件火災に因り生じた損害は左記の通りである。

(1)  原告庄田幾久男については、山水閣ホテルとして使用中のその所有に係る別紙目録第一記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が右火災のため焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する三千九十七万七千八百五円、(ろ)の動産の価額に相当する三百五十五万七千百七十円の損害を受けた外、

同原告が山水閣ホテルを米国第八軍の専用保健寮として経営する報酬は、当初その額が定められてなかつたが、本件火災後の昭和二十二年八月十二日栃木県知事により、起算日を遡らせ、昭和二十一年六月一日以降一ケ月二十六万四千七百四十二円と定められた。右報酬額から必要経費を控除した残額は一ケ月平均五万円となるが、右残額は結局同原告の一ケ月の収益である。山水閣ホテルの接収は昭和二十二年一月四日建物の焼失のため解除されたが、若し本件火災がなかつたなら接収は解除されず、引続き同原告は一ケ月五万円の収益を挙げることができたわけであるから、昭和二十二年一月五日以降昭和二十四年五月四日までに同原告が取得できた筈の収益は百四十万円であるが、本件火災による建物等の焼失により右収益を挙げることができないで、同額の損害を受けた。

しかし他方同原告は焼失した建物並に動産を予ねて火災保険に付しており、右各物件についての保険金三百万円を保険会社から受領したので、右各物件の焼失当時の時価合計額から右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した三千二百九十三万四千九百七十五円は本件火災に因り同原告の受けた現存の損害である。

(2)  原告沼尾広之助については、一心館ホテルとして使用中の同原告所有に係る別紙目録第二記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災に罹り焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する千九十一万二千五百円、(ろ)の動産の価額に相当する二百七十五万五千六百九十円の損害を受けた外、

同原告は右いの建物により一心館ホテルと称する温泉旅館を経営していたところ、原告庄田と同様昭和二十一年六月一日設備、什器等附随のまま、右建物は連合国軍に接収され、米国第八軍保健寮に充てられ、その経営を原告沼尾広之助に請負はされたがその法律関係は原告庄田について述べた(三)と同一である。

その請負報酬額については本件火災後栃木県知事によりその起算日を遡らせ、昭和二十一年六月一日以降一ケ月十六万七千百四十五円と定められた。右報酬額から必要経費を控除した残額は一ケ月平均三万円となるが、右残額は結局原告広之助の一ケ月の収益である。一心館ホテルの接収も山水閣ホテルと同様の関係で昭和二十二年一月四日解除されたが、本件火災がなかつたならば、同年一月五日以降昭和二十四年五月四日までに八十四万円の収益を挙げ得た筈であるから、火災により同額の損害を受けたわけである。

他方原告広之助は焼失建物並に動産を予ねて火災保険に付しており、右各物件についての保険金八十万円を受領しているので右各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した千三百七十万八千百九十円は本件火災により同原告の受けた現存の損害である。

(3)  原告斎藤伊代子については、晃水閣ホテルとして使用中の同原告所有に係る別紙目録第三記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災に罹り焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する五百十万八千円、(ろ)の動産の価額に相当する二百、二十八万三千四百円の損害を受けた外、同原告は右(い)の建物により温泉旅館晃水閣ホテルを経営していたが、本件火災のため七ケ月間休業の已むなきに至り、その間にホテル経営により得べかりし利益七十万円(一ケ月十万円)を挙げることができないので、同額の損害を受けた。

他方同原告は右(い)(ろ)の各物件を予ねて火災保険に付していたので右各物件についての保険金九十七万二千五百円を受領することができたから右各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した七百十一万八千九百円は本件火災により同原告の受けた現存の損害である。

(4)  檜山全孝については、その所有に係る別紙目録第四記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する八十万六干円、(ろ)の動産の価額に相当する八万九千七百円の損害を受けた外 同原告は右(い)の建物で飲食店を経営して来たが、本件火災のため五ケ月間休業を余儀なくされ、その間に営業上得べかりし利益三万円を挙げることができないで同額の損害を受けた。他方同原告は右(い)(ろ)の各物件を予ねて火災保険に付していたので、右各物件についての保険金二万二千円を受領できたから右各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した九十万三千七百円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(5)  原告須田銀三については、その所有に係る別紙目録第五記載の(い)の(イ)(ロ)の不動産、(ろ)の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する百二万五千五百円、(ろ)の動産の価額に相当する三十万千八百円の損害を受けた外同原告は右(い)の(イ)の建物で木工業を営んでいたが本件火災のため一ケ月休業を余儀なくされ、そつ間に得べかりし営業による利益五千円を挙げることができないため同額の損害を受け、

又右(い)の(ろ)の建物は、これを原告渡辺フヂに対し賃料一ケ月七十円毎月末払の約で期間の定めなく賃貸していたところ、本件火災により右建物焼失の結果昭和二十二年一月五日(火災の翌日)以降昭和二十四年五月四日までの賃料千九百六十円を取得できないで同額の損害を受けた。

他方において原告銀三は上叙(い)の(イ)(ロ)、(ろ)の各物件を予ねて火災保険に付していたので、右各物件についての保険金四万五千円を受領したから右各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前々段並に前段の損害額とを合計した百二十八万九千二百六十円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(6)  原告阿久津要次郎については、その所有に係る別紙目録第六記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する七十六万五百円、(ろ)の動産の価額に相当する十七万九千九百円の損害を受けた外同原告は右(い)の建物で木工業を営んでいたが本件火災のため六ケ月間休業を余儀なくされ、その間に得べかりし営業による利益三万六千円を挙げることができないで同額の損害を受けたが、

他方同原告は右(い)(ろ)の各物件を予ねて火災保険に付していたので右各物件についての保険金三万円を受領しているから右各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した九十四万六千四百円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(7)  原告青木広治については、その所有に係る別紙目録第七記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する二十一万三千百二十五円、(ろ)の動産の価額に相当する一万四千二百五十円の損害を受けた外

同原告は大工であるが、本件火災のため三ケ月間、大工を休業することを余儀なくされ、その間稼業によつて得べかりし利益一万円を挙げることができないで、同額の損害を受けたされば、同原告が本件火災により受けた損害は以上の損害額を合計した二十三万七千三百七十五円である。

(8)  原告堀内シヅ、は亡堀内光次の妻であり、原告堀内ミツはその長女、原告堀内キヨはその二女として右夫婦間に生れたものであり、

原告シヅの所有に係る別紙目録第八記載の(い)の建物において光次は写真業を営み、同目録記載の(ろ)の動産を所有していたが、本件火災に罹り右(い)の建物もろ(ろ)の動産も焼失したので、原告シヅは右(い)の建物の焼失当時の価額に相当する三十万八千円の損害を受けたが右建物には火災保険が付けられていたので、その保険金二万円を受領することができたから建物焼失による現存の損害は建物の前示時価より右保険金額を控除した残余の二十八万八千円である。

光次は上叙(ろ)の動産の焼失により、当時の時価に相当する五十八万九百円の損害を受けた外本件火災のため七ケ月間その写真営業を休業することを余儀なくされ、その間に得べかりし営業上の収益五万六千円を挙げることができないで同額の損害を受けた。

しかし前述(ろ)の動産には予ねて火災保険が付けてあつたのでその保険金一万五千円を受領したから光次が本件火災により受けた実損害は右(ろ)の動産の焼失当時の価額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した六十二万千九百円である。

(9)  原告沼尾トシについては、その所有に係る別紙目録第九記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災に罹り焼失しその焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する五十八万五百円、(ろ)の動産の価額に相当する七十二万千四百五十円の損害を受けた外

同原告は右(い)の建物で物産店を経営して来たが、本件火災のため十一ケ月間休業を余儀なくされ、その間に得べかりし営業上の利益八万八千円を挙げることができないで同額の損害を受けたが、

他方同原告は右(い)(ろ)の各物件を予ねて火災保険に付していたので、その保険金十五万円を受領したから(い)(ろ)の各物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した百二十三万九千九百五十円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(10)  原告井口ハツについては、その所有に係る別紙目録第十記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する七十五万七千五百円、(ろ)の動産の価額に相当する四十一万七千四百円の損害を受けた外

同原告は右(い)の建物において芸妓置屋を営んでいたが、本件火災のため四ケ月間休業を余儀なくされ、その間に得べかりし営業収益二万四千円を挙げることができないで同額の損害を受けた。

しかし、他方同原告は右(い)(ろ)の各物件を火災保険に付していたので、その保険金十二万円を受領したから右(い)(ろ)の各物件の焼失当時の価額合計額より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した百七万八千九百円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(11)  原告川村ゼンについては、その所有に係る別紙目録第十一記載の建物が本件火災に罹り半焼し、これがため、その焼失部分の当時の価額に相当する十九万千百円の損害を受けたが、右建物には予ねて火災保険が付せられてあつたので、その保険金一万五千円を受領したから、焼失部分の当時の時価より右保険金額を控除した残額十七万六千百円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(12)  原告川村清八については同人は原告川村ゼンの夫で原告ゼンの所有に係る前述(別紙目録第十一)の建物で室内射的場を経営していたが、本件火災により、その所有に係る別紙目録第十二記載の動産が焼失し、動産の当時の時価に相当する二万五千円の損害を受けた。

(13)  原告荒井仁平については、その所有に係る別紙目録第十三記載の(い)の不動産、(ろ)の動産が本件火災のため焼失し、その焼失当時の(い)の不動産の価額に相当する四十三万二千円、(ろ)の動産の価額に相当する十万七千円の損害を受けたが、右各物件には予ねて火災保険が付せられていたので、その保険金八万八千円を受領したから、(い)(ろ)の物件の焼失当時の時価合計額より右保険金額を控除した残額四十五万一千円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(14)  原告根本豊については、その所有に係る別紙目録第十四記載の建物が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する八十万七千七百五十円の損害を受けたが、右建物には火災保険が付せられていたので、その保険金九万九千五百円を受領したから、建物の焼失当時の時価より右保険金額を控除した残額七十万八千二百五十円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(15)  原告益子一恵は亡益子信義の妻であり、原告益子定幸、益子ヤス、益子次郎は、信義と一恵との間に生れたそれぞれ長男長女、二男であるが、

信義はその所有に係る別紙目録第十五記載の建物が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する十三万六千五百円の損害を受けた外、

右建物は信義が訴外久保三吉に賃料一ケ月二十円、毎月末払の約で期間の定めなく賃貸していたものであるが、本件火災により右建物焼失の結果昭和二十二年一月五日以降昭和二十四年五月四日までの賃料五百六十円を取得できないで同額の損害を受けた。

他方右建物には予ねて火災保険が付してあつたので、その保険金九干円を受領したから右建物の焼失当時の時価より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した十二万八千六十円は信義が本件火災により受けた実損害である。

(16)  原告池田祐三郎については、その所有に係る別紙目録第十六記載の建物が本件火災により焼失したため、その焼失当時の建物の価額に相当する六十四万七千五百円の損害を受けた外同原告は右建物の内(ハ)を原告古賀訓令に対し賃料一ケ月三十円毎月末日払の約で期間の定めなく賃貸していたが、建物焼失のため昭和二十二年一月五日以降昭和二十四年五月四日までの得べかりし賃料八百四十円を取得できないで同額の損害を受けた。

従つて同原告は本件火災により以上合計六十四万八千三百四十円の損害を受けている。

(17)  原告沼尾周次郎についてはその所有に係る別紙目録第十七記載の建物(二棟)が本件火災のため焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する八十一万四千二百五十円の損害を受けた外、

同原告は右建物の内(イ)(二戸建)を訴外日向野チヨ子並に訴外大島兵治に対し賃料一ケ月三十円で、又(ロ)(二戸建)を訴外橋本忠雄並に訴外増淵キヨに対し賃料一ケ月五十円で、何れも賃料毎月末払の約で期間の定めなく賃貸していたところ本件火災による建物焼失の結果、右(イ)(ロ)の建物の昭和二十二年一月五日以降昭和二十四年五月四日までの賃料として得べかりし合計四千四百五十円を取得できないで、同額の損害を受けたが、

右建物については予め火災保険に付されていたので、その保険金三万円を受領したから、建物焼失当時の時価より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した七十八万八千七百三十円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(18)  原告山田吉美についてはその所有に係る別紙目録第十八記載の建物が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する五十万七千円の損害を受けた外、同原告は右建物を訴外横井君平に対し賃料一ケ月五十円、毎月末払の約で期間の定めなく賃貸していたが、建物焼失の結果、昭和二十二年一月五日以降昭和二十四年五月四日までの得べかりし賃料千四百円を取得できないで同額の損害を受けた。

従つて以上の損害額を合計した五十万八千四百円は同原告が本件火災により蒙つた損害である。

(19)  原告古賀訓令は(16)の第二段で述べたように別紙目録第十六記載の(ハ)の建物を原告池田祐三郎から賃借し、その借家において古物商を営んでいたが、本件火災により同原告所有の別紙目録第十九記載の動産を焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する二万二千七百三十五円の損害を受けた外本件火災のため同原告は前示営業を三ケ月間休業することを余儀なくされ、その間に得べかりし営業収益一万円を挙げることができないで同額の損害を受けた。

他方同原告は焼失動産に予め火災保険を付していたので、その保険金二千円を受領したから、右動産の焼失当時の時価より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した三万五千七百三十五円は同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(20)  原告大綱秀子は訴外日本鉱業株式会社より賃借した建物に居住していたが、本件火災によりその所有に係る別紙目録第二十記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する百一万九千七百円の損害を受けた。

しかし右動産には火災保険がつけられてあつたので、その保険金五万円を受領したから、右動産の焼失当時の時価より右保険金額を控除した残額九十六万九千七百円が同原告の本件火災により受けた現存の損害である。

(21)  原告鈴木正男は別紙目録第十六記載の(イ)(ロ)の建物を借受け、居住していたが本件火災によりその所有に係る別紙目録第二十一記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の時価に相当する三十万二千百円の損害を受けた。

(22)  原告渡辺フジは前述(5) の第三段の如く、原告須田銀三から別紙目録第五記載のいの(ロ)の建物を賃借し、この建物で芸妓置屋を営んでいたが、本件火災により、その所有に係る別紙目録第二十二記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する二十九万七千六百五十円の損害を受けた外本件火災のため原告フヂはその営業を二ケ月間休業することを余儀なくされ、その間に得べかりし営業収益二万円を挙げることができないで、同額の損害を受けた。

他方前述の焼失動産は火災保険に付せられていたので、その保険金七千円を同原告において受領したから、焼失動産の前示時価より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した三十一万六百五十円は、同原告が本件火災により受けた現存の損害である。

(23)  原告飯田ヒサは原告根本豊から別紙目録第十四記載の建物を借受け、右建物で料理屋を営んでいたが、本件火災により、その所有に係る別紙目録第二十三記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する十三万七百円の損害を受けた外

原告ヒサは本件火災のため、その営業を五ケ月間休業することを余儀なくされ、その間に得べかりし営業収益三万円を挙げることができないで、同額の損害を受けた。

しかし他方、焼失動産には火災保険が付けられていたので、その保険金九千五百円を受領したから、焼失動産の前示時価より右保険金額を控除した残額と前段の損害額とを合計した十五万千二百円は、原告ヒサが本件火災により受けた現存の損害である。

(一六)  以上の各損害はすでに述べたところにより被告等において連帯して賠償する責があり、従つて、損害を受けた者においては、各その損害賠償を求める権利があるところ、

前項(十五)の(8) の堀内光次は昭和二十九年九月十一日死亡し、原告堀内シヅ、ミツ、キヨの三名において、その遺産相続をしたので、光次の本件損害賠償請求権も原告三名に承継された結果、損害賠償請求債権額は原告シヅについては、その固有のものと相続分(三分の一)とを合算した四十九万五千三百円、原告ミツ、キヨについては各その相続分(三分の一)二十万七千三百円宛となり、又前項(十五)の(15)の益子信義も昭和二十五年二月三日死亡し、原告益子一恵、定幸、ヤス、次郎の四名において遺産相続をしたので信義の本件損害賠償請求権は右四名に承継され、原告一恵はそのうち三分の一の範囲内で四万二千六百八十円、原告定幸、ヤス、次郎は残余の三分の二の三分の一の二万八千四百五十七円宛の範囲で、損害賠償を求める次第である。

(十七)  よつて原告等は結局、各自被告に対し別表記載の各金員とそれぞれ右各金員に対する本件訴状が被告等(被告会社については日産土木株式会社)に送達された日の後である昭和二十四年七月三日以降完済までの民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求めるものである。

(十八)  若し被告等に民法第七百九条以下に規定される不法行為の賠償責任がないとされるときは、原告庄田幾久男、沼尾広之助の両名については、それぞれ(二)(三)並に(十四)の(2) の第二段に述べたように、被告国との間に各その所有建物を接収された関係から、その各建物並に附属設備、什器等を被告国に賃貸しているものであり、本件火災の火元となつた山水閣ホテル従業員宿舎は(十二)の第二段で述べたように原告庄田が借主となつているが、右原告等の経営する山水閣ホテル、一心館ホテルの接収の結果、その通常のホテルとしての経営は昭和二十一年五月末日限り中止させられ、原告等は家族、従業員共、接収外建物に立退くことを強制されたため、米国第八軍の保健寮として山水閣ホテルを経営するために、必然的に従業員宿舎を被告国の機関としての栃木県知事が施設したもので、事実上被告国において支配し管理した関係にあるものであるところ、右従業員宿舎よりの出火により原告等の所有建物並に附属設備が焼失し、賃貸借終了による賃借物件返還債務が履行不能となつたが、右は被告国が善良な管理者としてなすべき注意を怠つたためであり、債務者(賃借人)の責に帰すべきものであるから、原告両名に対し、それぞれ別紙目録第一(い)(ろ)並に同目録第二記載の(い)(ろ)の各物件の焼失による損害(保険金額を控除したもの)を賠償する義務がある。

更に仮に原告等と被告国との間に原告等主張の賃貸借関係がないとしても、接収物件は、接収解除と同時に被告国において、その各物件の所有者に、これを返還すべき義務があるところ、同被告の責に帰すべき事由により返還不能となつたのであるから、その返還不能による前段の損害を賠償する義務は免れない。

(十九)  よつて原告両名は被告国に対し前示損害額相当の金額とこれに対する昭和二十四年七月三日以降完済までの既述の遅延損害金を求めるものである

と述べ、

被告等の(十)の(a)乃至(c)についての答弁に対し、被告等は市街地建築物法施行規則第三十八条を援用し、本件煙突の設置場所、鉄板製煙突の使用が同法条を遵守した適法のものであり、又垂直煙突の屋根を通過する部分の軒先の切口と煙突との関係についても当時の汽罐取締令第二十八条を援用し、煙突施設方法の適法であることを主張するけれども、市街地建築物法施行規則は第三十八条の外、火気使用の器具設備につき、その周囲、上部下部の可燃物との距離並に火災予防設備方法に関し幾多の規定を設け、就中第三十七条には、金属性煙突の小屋裏、床裏等露出しない位置にある部分は金属性以外の不燃性材料を以て被覆すべきことが規定され、更に第三十九条には地方長官は煙突が近接建築物に危害を及ぼす虞れがあると認めるときは、(前数条の外)必要な措置を命ずることができる旨を定めてありこれら一連の規定は煙突汽罐等の取付について、個々の各場合に応じて具体的な危険の発生を予想し、火災発生の虞れのないように必要措置を示し、又行政機関をして必要措置を指令させることとしたもので、前示第三十八条の規定に形式的に違反していないというだけでは本件煙突の施工について過失がないことにはならない。本件煙突の設置場所はすでに述べた通り双方高い板壁に狭まれ前示第三十七条に指示されている小屋裏又は床裏に類似する場所であり、かかる場所に長時間に亘りたき続けるボイラーの鉄板製煙突を使用し、その煙突に不燃性材の被覆もせず、その他防火措置もしなかつたのは前示施行規則の趣旨よりして、当然期待される注意義務を怠つたものである。のみならず垂直煙突が屋根を通過する部分の軒先の切口と煙突との間隔は僅に二寸程度のものであるから前示第三十八条の規定にも違反しているのである。

なお前述の市街地建築物法施行規則の趣旨に従い、東京都の火災予防条例(東京都条例第百五号)の如きは、その第六条第六号の(ホ)に、金属性の煙突は可燃物から十五糎以上離すこと。但しボイラー、ストーブ及び多衆調理用もしくは作業用かまどからして一・八米以内にある部分は距離を四十五糎以上とする。但し煙突と壁体又は天井と適当な不燃材料で隔離するか又は被覆し、消防職員が支障ないと認めた場合はこの限りではない旨定めているが、右は火災予防に必要な基準と解し得るものであるところ、本件ボイラーの煙突中、ボイラーより一・八米の範囲の部分のボイラー室外にあるものについては、可燃物である羽目板並に板塀よりの距離が、被告等の主張によるも僅に八寸七分(二十五糎)程度にすぎないし、又垂直煙突が屋根を通過する部分の切口の状態もすでに述べた通りであるのに、羽目板、板塀、屋根の切口等に何等の火災予防措置もしなかつたのは工事の専門家として重大な注意義務の懈怠と云うべきである、と述べた、

立証<省略>

被告国の指定代理人は原告等の請求を棄却するとの判決を求め原告等の主張事実について、

(一)は認める。

(二)のうち、昭和二十一年六月一日頃米国第八軍から山水閣ホテルの建物を同軍保健寮として使用するため調達要求(P・D)が発せられることとなつた(同年七月十七日発せられたので栃木県知事は原告庄田に右建物で保健寮を経営することを請負はせたことは認めるが、営業用設備、什器、器具等は、そのうち保健寮の経営に必要なものだけが使用に供されたものである。その余は否認する。

(三)の主張はこれを争う。

連合国軍により発せられた調達要求により被告国がその要求に基いて、その要求に適応する調達の方式は必ずしも一様ではなく、本件原告庄田幾久男経営の山水閣ホテル、原告沼尾広之助経営の一心館ホテルの如きレストホテル(保健寮)となるものについては、単にホテル経営者との間に、保健寮の経営を請負はせたものであるが、当時「和風旅館の使用料査定基準」が定められていなかつたので、右各原告等と協議の上、差当り保健寮経営に要する費用を十ケ月各金十万円と見込み、追つて、請負報酬額の決定するまでの間、仮払をすることに協定していたがその後、昭和二十二年八月十二日報酬額も決定し、従前の仮払分についても精算を了したのである。もつとも、仮払金の支払に際し賃借料又は各原告の給料という用語を使用したり、報酬額確定後に、その報酬に使用料等の文言を用いたことはあるが、右各用語乃至文言は報酬額の計算上便宜使用したもので、被告国と原告等両名との間にホテルの建物その他の物件につき賃貸借関係があつたためではない。従つて被告国は右建物その他の物件を賃借のため、引渡を受けたこともないし、占有した事実もないのである。なお、ホテル調達の方式としては、ビレットホテル(軍人宿舎)となるものについて、ホテルの建物その他の物件の賃貸借とホテル経営者の役務提供との両者を内容とする契約が、被告国との間に成立していたものは、帝国ホテル、丸の内ホテル、第一ホテル、ホテルニューグランドだけであり、その他のものについては、ホテルの建物、その他の物件の賃貸借契約のみが被告国との間に成立して居り、本件レストホテルとなるものについては単にホテル経営者の役務提供のみを内容とする請負契約のみが結ばれたものであることはすでに述べた通りである。

(四)の原告庄田の賃借建物は栃木県塩谷郡藤原町大字滝五百四十三番地の二所在、木造瓦トタン交葺二階建地階建坪七十八坪六合二勺五才である。その余は認める。

(五)のうち栃木県知事が日産土木株式会社に原告等主張の工事を請負はせたことは認める。

(六)のうち、日産土木会社が(五)の改造工事を請負い、その工事を施行し原告等主張の日、竣工したことは認めるが、その余の点は争う。右工事の設計、施行は一切日産土木会社がその責任において行つたもので、栃木県営繕課が指揮監督をしたことはない。

(七)のうち原告等主張の日時、その主張の宿舎より出火したことは認めるが、その余は不知

(八)のうち日産土木株式会社が原告等主張の建物の地階物置を浴場に改造し、温水ボイラーを設置したことは認めるがその余の点は否認する。

(九)については

(イ)は認める。

(ロ)のうちコンクリートの床面より天井までの高さは不知、その余は認める。

(ハ)のうち、ボイラーの外側と南側モルタル塗腰壁との距離は不知、その余は認める。

(ニ)のうち、ボイラーの「立上り煙突」の中心が、ボイラーの覗穴、炎口等のある側より五寸八分の点にあつたとの点は不知その余は認める。

(ホ)のうち、波型鉄板に穿たれた穴の大きさは不知、鉄板製煙突の鉄板の厚さは五厘(一・六粍)である。その余は認める。

(ヘ)のうち、一心館ホテルの板塀の高さは不知、鉄板製煙突の鉄板の厚さは一・六粍である。ボイラー室の東側外側羽目板と一心館ホテルの板塀との距離は少くとも二尺三寸五分以上あつた。垂直煙突を立てた部分の屋根の軒先は、間口約三尺奥行一尺二、三寸の長方形に切つたものであり、従つて切口と煙突の外側との距離は僅か二寸程度のものではなく、もつと離れていた。その余は認める。

(ト)については、切取つた屋根は、瓦葺のものであつた。杉皮が使用されていたとの点は否認するその余は認める。

(十)の第一段の浴場使用状態は不知

(a)の煙突の設置場所が不適当であるとの主張を争う。

すでに原告等主張の(九)の(ヘ)について述べたように、ボイラー室外側羽目板と一心館ホテルの板塀との距離は二尺三寸五分以上あるので、その間に直径六寸の円筒形の煙突を設置しても、双方の建築物との間隔は優に八寸七分以上存するのであるが、市街地建築物法施行規則第三十八条は金属性煙突と木材その他燃質材料との間隔は五寸以上存すべきものと規定しているのであるから、右規定よりしても、本件煙突の設置場所の選定は違法又は不当のものではない。

(b)の煙突の資材が不適当であつたとの主張も争う。本件煙突は厚さ一・六耗の鉄板製のものであるが、最も安全な鉄筋コンクリート製の煙突は基礎に六尺四方を要し、本件ボイラーについては不可能であり、石綿製煙突は本件工事当時粗悪品が多く、縦割し易い上に継手を多数要し、却つて不適当であり、トタン製のものは厚さが薄くて永続性がなく結局本件ボイラーの煙突としては鉄板製のものが最適である。しかも前示規則によるも右鉄板製煙突の使用は前述の設置場所との関係から支障はない。

(c)の煙突の施設についての原告等の主張も争う。垂直煙突の屋根を通過する部分の軒先の切口は、原告等主張の(九)の(ヘ)について被告国の述べた通り、垂木の一本の軒先の部分を切取り(垂木と垂木との間隔は約一尺五寸)間口約三尺奥行一尺二、三寸の長方形の切口を作り、間口の中心に、切口の奥の縁辺となつている屋根瓦の先端より八、九寸の距離を隔てた状態に煙突を位置させたのであるが、当時の汽罐取締令第二十八条によれば、金属性煙突より十二糎(三寸九分六厘)以内にある可燃性材料についてのみ金属性以外の不燃性材料による被覆を命じているのであるから、右切口部分に何等防火設備をしなかつたからとてその施設に何等の手落ちもない。

(十一)で原告等の主張する出火原因は否認する。本件火災は、ボイラーのたき過ぎにより過熱された水平煙突と垂直煙突との接合点附近又はボイラー係員の燃屑灰の不始末よりボイラー室の内壁より出火したものであつて工業施行上の過失に起因するものではない。

(十二)の第一段の主張はすべて争う。(もつともそのうち(五)(六)についてはすでに述べた通りである。)

同項第二段については、原告等主張の山水閣ホテル従業員宿舎の建物は原告等が(四)で主張するように栃木県知事の斡旋により原告庄田が日本鉱業株式会社から、山水閣ホテル従業員宿舎用に借受けたものであり、且つ米軍の山水閣ホテル使用の調達要求に応じて、調達の目的を達成するため、栃木県知事において、原告庄田に代つて日産土木株式会社に右建物の改造工事を請負はせたものであつて、この工事完成後は同原告が占有していたもので被告国において右建物を占有した事実もないし、事実上の支配も被告国にはなかつた。のみならず、すでに述べた通りボイラーの煙突の工事については何等の瑕疵もなかつたのであるし、又仮に何等かの瑕疵があり且つ右煙突を含む建物の占有が被告国にあつたとしても、その瑕疵に起因する火災による損害賠償の責任については「失火ノ責任ニ関スル法律」の適用があるところ、被告国はその瑕疵について、通常なすべき注意を甚だしく怠つたようなことはないから、何れにしても損害賠償の責はない。

(十五)については

(1)(2) の各第一段のうち、別紙目録第一第二記載の各(ろ)の動産の全部が保健寮としてのホテル経営に使用されたものではない。(2) の第二段のうち、法律関係についての原告広之助の主張は争う。その法律関係は原告庄田に関する(三)の主張についてすでに述べた通りである。その余の(2) の第二段の事実は認める。以上の外、(1) (2) についての各原告の主張事実は不知。

(3)乃至(7) は不知。

(8) のうち第一段の身分関係は認める。その余は不知。

(9) 乃至(14)は不知。

(15)のうち第一段の身分関係は認める。その余は不知。

(16)乃至(23)も不知。

(十六)の第一段の主張を争う。第二段のうち、堀内光次の死亡並に右死亡による遺産相続の点は認めるが、その余は否認する。第三段の益子信義の死亡並にその死亡による遺産相続は認めるが、その余は否認する。

(十八)の第一段については、すでに述べたように被告国と原告庄田幾久男、沼尾広之助との間に右各原告の経営するホテルの建物、その附属設備、什器等について賃貸借契約もないし、又被告国が山水閣ホテル従業員宿舎用建物の占有乃至事実上の支配管理などをしたことはない。

同項の第二段についても各原告の経営するホテルの建物その他の物件の占有を被告国において取得したことはないので、返還の義務もない。

その他の各原告の主張事実は否認する。

以上陳述したところにより、被告国は原告等の本件損害賠償請求に応ずる義務はない。

と述べた、

立証<省略>

被告日産建設株式会社訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、同被告に関する原告等の主張事実について

(一)のうち、原告庄田幾久男が山水閣ホテルと称する温泉旅館を経営していたことは認めるが、その旅館の建物が原告主張の如きものであるかどうかは不知、

(二)のうち、右ホテルが原告等主張の頃より米国第八軍のため使用され、原告庄田がその米軍のための使用について、ホテルの経営を請負つたことは認める。

(三)の原告等主張の契約の内容は不知。

(四)の山水閣ホテル従業員宿舎に充てられた建物は訴外日本鉱業株式会社所有の栃木県塩谷郡藤原町大字滝五百四十三番地の二所在(原告等は四百五十三番地と表示しているが、被告会社は誤記と解する)木造瓦、トタン交葺二階建、地階附、建坪七十八坪六合二勺五才であつて、単にトタン葺だけのものではない。

(五)については被告国の答弁と同一である。

(六)のうち、日産土木株式会社が栃木県知事より山水閣ホテル従業員宿舎に充られる前述の建物につき(五)の改造工事を請負い栃木県建設課の指揮監督の下に、工事の設計、施行をし原店等主張の日竣工したことは認める。右工事の施行中栃木県技師飯田信祐は週一回位工事現場に臨んで施工を監督し、同県建設課員内山某も連日工事現場で工事の監督に当つたものである。本件ボイラーについては全工事の完成に先立ち昭和二十一年十一月二十二日据付を了し火入式を行い、前示内山立会の上、山水閣ホテル側に引渡し、爾来原告庄田において連日使用していたもので、全工事の完成と同時に山水閣ホテル従業員が一時に引移つたものではない。

(七)乃至(十一)については被告国の答弁を援用する。もつとも以上の内(九)の(ト)については瓦葺の下に杉皮で葺かれていたことは認める。

(十三)については日産土木株式会社が栃木県知事より改造工事を請負つたことは(六)について前述した通り認めるが、その余の主張はこれを争う。

(十四)は認める。

(十五)については(8) 、(15)の各第一段は認めるが、その余は全部、不知。

(十六)については被告国の答弁と同一である。

以上により被告会社には原告等の本訴請求に応ずる義務はないと述べ、

立証<省略>

理由

原告等主張の(一)の事実は被告国においては認めるところであり、被告日産建築株式会社については、山水閣ホテルの建物の構造の点を除いては同被告もまた争はないものであり、その建物の構造が原告等主張通りのものであつたことは原告庄田幾久男に対する本人尋問の結果(第一回)のにより、これを認めることができるもつとも成立について争のない甲第一号証によれば、右建物の坪数において多少の相違があるが、右相違は、前示本人尋問の結果により、増築部分の登記経由が遅れていたため、公簿上認められる坪数が実状の坪数より少いものとなつていたためであることが認められ、他に上叙認定を左右できる証拠はない。

原告等主張の(二)については、昭和二十一年六月一日頃、原告庄田の経営する山水閣ホテルを米国第八軍の保健寮として使用するための調達要求が同軍より発せられたので、栃木県知事が調達の衝に当り、山水閣ホテルが、同軍の保健寮となつたことは被告国において認めるところであり、又被告会社としては、山水閣ホテルが原告等主張の頃より米国第八軍のため使用されるに至つたことを認めている。

(四)については被告国は、ホテル従業員の宿舎として原告が賃借した建物は原告等主張の表示が誤りで、その実は、栃木県塩谷郡藤原町大字滝五百四十三番地の二所在木造瓦トタン交葺二階建地階附建坪七十八坪六合二勺五才であるとする外は原告等の主張事実を認め、又被告会社も山水閣ホテル従業員宿舎に充てられた建物の所在番地、構造坪数は被告国の主張する通りで、単にトタン葺のものではない。所在番地は原告等が誤つて主張しているものであろうと述べ、その余の(四)の事実については明に争つていないので、自白したもの(民事訴訟法第百四十条の規定により)と看做される。そこで前示建物の所在番地等についてしらべてみると、原告等において成立を認める丙第一号証(被告国において、同号証は援用していないが共通事項に関するものとして被告国のための証拠ともなし得るわけであるが)、証人金子恭次郎の証言(第一、二回)並に原告庄田本人尋問の結果(第一回)を綜合すれば、前示従業員宿舎に充てられた建物はもと訴外金子恭次郎の所有に係り、同人において、蚕室用に使用されていた三十二坪(四間に八間)の木造杉皮葺平家一棟の古家を買つて来て、道路に面する部分にその古材で二階家を建て、裏側部分に新材で東西一間、南北約四間半の下屋をつぎ足したもので、屋根は杉皮葺の上に焼トタン(もと建築場にあつた家が火災に罹つて焼けた、その焼跡を建地用地としたもので、右火災で焼けた家のトタンである)で葺きこの焼トタンにコールタールを塗り、下屋の屋根はそのままであるが、表側の二階建の部分の屋根は、右トタンの上を更に新に瓦で葺いたもので、この建物はその後同人が訴外日本鉱業株式会社に売渡したものであり、登記面上は塩谷郡藤原町大字滝五百四十三番地の二所在、木造瓦トタン交葺二階建本家一棟建坪五十二坪一合二勺五才二階坪十一坪五合と表示されていたものであることを認めることができる。

原告等主張の(五)については栃木県知事が日産土木株式会社に原告等主張の工事を請負わせたことは被告等の認めるところである。

ところで上述の(二)(四)(五)について説示したところと、成立に争のない乙第十二号証、証人飯田信祐の証言(第一回)、同証言により真正に成立したと認められる乙第十四号証の一、二、証人青野英隆(第一回)、菊地静、宮川源三郎、須永重三郎の各証言並に原告庄田幾久男本人尋問の結果(第一回)を綜合すれば、米国第八軍の保健寮として原告庄田経営の山水閣ホテルを使用するための調達要求(いわゆるF・D)が同軍より発せられたのに即応するため被告国はその機関として栃木県知事をしてその調達の衝に当らしめ、山水閣ホテルを第八軍保健寮として、その専用に供することとしたが、被告国のいわゆる調達の内容が、原告等の云うように接収(通常の接収とは占有の強制取得を指称するが、この場合、原告等は被告国との間に建物の賃貸借を含む契約があつたと主張するので強制的に被告国より山水閣ホテルの建物を借上げられ、占有を取上げられたという意味に使用している)であるか、又は被告国の主張するように、原告庄田がその所有の山水閣ホテルの建物を使用して、米国第八軍のために専属的に保健寮としての業務に従事することを請負つたもので、被告国は単に注文者の位置にあつて、建物の占有乃至賃借をしたものではなかつたかどうかの点はさて措き、米国第八軍は山水閣ホテルの建物に、日本人の居住を許さず、ホテル従業員である日本入も右建物内に起居することができないので、右従業員の宿舎に充てるため、栃木県知事は前述(四)について判定した訴外日本鉱業株式会社所有の建物を同会社をして原告庄田に賃貸させると共に、山水閣ホテルの建物を保健寮に適するよう内部等の一部改造並に右従業員宿舎に充てる建物を男子従業員五十名の宿舎に改造する設計をなし、一、二階を宿舎に、地階を便所浴室、ボイラー室となすこととし、右各工事を日産土木株式会社に請負わせ工事施行の監督の責任を同県技師飯田信祐(知事の命により前示設計をした者)に負わせ、又現場における施行監督者として同県技手内山某を現地に常駐させていたことを認めることができる。

以上の各事実よりすれば、栃木県知事の各所為は調達要求により被告国のなすべき調達業務を、被告国の機関として、栃木県知事が果したものであるから、同知事の行為に因る法律上の効果はすべて被告国の行為の効果として、これを辞することはできないものと云わなければならない、さて、昭和二十二年一月四日午後十時頃、前述の従業員宿舎より出火したことは本件当事者間に争がない。そこで右出火の原因についてしらべてみる。

原告等は右出火の原因として栃木県知事の設計監督による日産土木株式会社の宿舎改造工事の瑕疵を挙げているので先づその工事について審按すると、原告等主張の(九)の、

(イ)の従業員宿舎の浴場、ボイラー室等は宿舎母屋の下屋の地下室にあり、この地下室はもと物置となつていたのを改造したもので、その西側、北側及び南側の一部は石崖で、地表の道路面より約六尺低い矩形の平地にあること。

(ロ)のうち、ボイラー室は右地下室の東北偶約一坪の部分で、床はコンクリート、内部の周囲は出入口の硝子戸の部分を除き高さ三尺のモルタル塗腰壁となつており、その上部は窓となつている部分を除き亜鉛鉄板張り、天井も同様であり、東側モルタル塗腰壁の上高さ三尺、横六尺の部分が窓となつているが、その部分のうち、室内より向つて右半分三尺四方の部分に波型鉄板を張り、この鉄板を貫通して水平にボイラーの煙突が室外に突き出してあつたこと。

(ハ)のうち、ボイラーはボイラー室の東南隅コンクリートの床上に高さ約二寸のコンクリートの基礎を作り、その基礎の上にボイラーを炎口を西側に向けて据付けたこと。

(ニ)のうち、ボイラーは直径一尺九寸五分高さ四尺五分の円筒型のものでこの上部から「立上り煙突」があり、その煙突の中心とボイラーの円筒の中心とは一致せず、その煙突は直径五寸九分長さ二寸五分の円筒型のものであつたこと。

(ホ)のうち、同の水平煙突が波型鉄板を貫通する部分はその鉄板の中央より稍右寄りの部分で床面より高さ五尺の点を中心とする穴を穿ち、この穴に直径六寸、長さ三尺の円筒型鉄板煙突を水平に貫通し、一端を屋外に出し、屋内の端をボイラーの「立上り煙突」に取り付け、その煙突の屋内部分並にボイラーに保温粘土を塗つてあつたこと。

(ヘ)のうち、ボイラー室の東側の外側羽目板が隣家の原告沼尾広之助経営の一心館ホテルの板塀と相対しており、その中間に地上約五尺の高さの支柱(やぐら)を設け、これを台として屋内より水平に突き出した煙突を支へ、この煙突に鉄板製円筒を嵌め込み、長さ約三十八尺の垂直煙突を取付けたが、右煙突の上部は下屋の庇の軒先と衝突するので、右部分の軒先を切取り、その切取つた部分に垂直煙突を通したこと

は何れも本件当事者間に争がなく、又右下屋部分の屋根が杉皮葺の上に焼トタンで(このトタンにはコールタールが塗つてあつた)葺いたものであつたことはすでに判示した通りである。

ところで以上の浴室、ボイラー室についての位置、構造に関する事実と、成立につき争のない甲第二十三号証の一乃至六、同号証の九乃至十一、乙第二号証、証人井沢竜暢の証言、同証言により原告等附陳通りの写真であることが認められる甲第五十五号証の一乃至四、証人石原吉次郎(第一、二回)、金子恭次郎(第一、二回)、高橋一郎(第一、二回)、青野英隆(第一、二回の各一部)、上野朝子、若林義和、沼尾高次、荒川桂蔵、坂口善弥の各証言、鑑定人石谷清一の鑑定、鑑定人塚本孝一、碓井憲一、川越邦雄の共同鑑定、並に検証(第一、二回)の各結果を綜合すれば前述の原告等主張の(九)の(八)のうち、ボイラーの外側と東側内壁との距離は三寸五分、南側内壁との距離が約七寸であつたこと、(ホ)のうち、水平煙突は厚さ一粍の鉄板製のものであつたこと、(ヘ)のうち、右水平煙突の屋外に突出した一端は厚さ一粍の鉄板製円筒型の垂直煙突に接続しているが右垂直煙突の円筒の直径は約六寸であり、その垂直煙突の外周ボイラー室に面する部分とボイラー室の外側羽目板との間隔は約八寸あり、又右外側羽目板は下水溝を隔てて隣家の一心館ホテルの板塀に面するが、右板塀は二尺八寸の高さのコンクリートの基礎の上に約二間の高さに下から順次厚さ五分程度の板の釘打ちしたもので、その板塀とボイラー室外側羽目板との距離は北寄りの部分(正確には北東部)において約二尺三寸五分、南寄りの部分(正確には南東部)において約三尺三寸であり、更に前示垂直煙突はその上方、地上約十九尺のところで、下屋の軒先を貫通しているが、その貫通部分の軒先は廻引で約八寸の半月型に屋根板を切取り、その屋根板の上に葺かれている杉皮並に焼トタンを剥ぎ取つたもので、その切口は円滑ではなく杉皮が露出しており、この部分を通過する垂直煙突の外周と切口との間隔は一寸乃至二寸であるが、この部分に何等格別の防火工作は施工されず、単に三本の針金で煙突の上部を三方より支へただけであつたこと、本件ボイラーは山水閣ホテル従業員宿舎の浴場のために設けられたもので、この浴場を使用する従業員の数も多く、従つて一般家庭の風呂の場合と異り、ボイラーの使用時間も長く、昭和二十一年十二月二十五日ボイラー使用開始以来訴外若林義和がボイラー係りとして毎日午前十時頃から午後十時頃までの入浴を可能とするため焚き続けて使用していたものであること、すでに述べたボイラー室の構造、煙突の位置、構造の下に右の如きボイラーの使用状態を考慮すると、垂直煙突に沿うボイラー室外側羽目板並に下屋の軒先の切口部分は、煙突の熱、殊に煙突内の二次燃焼等により高度に達した煙突よりの輻射熱と、煙突の位置が一心館の板塀と、ボイラー室外側羽目板に挾まれた狭隘な場所にあるため、煙突により熱せられた空気の流れとによつて次第に乾燥度を増し発火し易い状態が累積されていたばかりでなく、煙突固定装置も(三本の針金で一応支へられてはいるが十分ではなく、煙突の揺れによる軒先切口への接触引火等の虞れも否定できない状態であつたことが認められ、昭和二十二年一月四日の宿舎よりの出火も、右の如くボイラー室外側羽目板並に軒先切口が引火し易い状態にあつたところへ灼熱した煙突が揺れて軒先切口の杉皮に接触して火を発し、火は上部の羽目板並に屋根裏に延焼し本件火災を惹起するに至つたものであることを推定することができる。

乙第一乃至第十一号証はその成立については争いはないが、その記載内容中前段の認定並に推定に反する部分は信用できないし、証人青野英隆(第一、二回)、野中利一(第一、二回)、飯田信祐(第一、二回)、小田原甚造、菊地静の各証言中、前示認定並に推定に沿わない部分も信を措けず、その他上叙認定並に推定を覆へすに足りる証拠はない。

元来ボイラー並にこれに関連する煙突その他の施設等について、その工事の瑕疵の有無を論ずるに際つては、その設置の場所、工事の資材並に施設の方法の三者をそれぞれ切り離して考えることはできないことは言うまでもない。この三者を別々に切り離して個別に検討すれば、設置の場所が事実上、科学的技術的に不可能でない限り、その場所に相応した安全な施設をなすことは可能であるし、又工事の資材並に施設の方法にしても、その安全性は各場合に応じて相対的に定まるものであるからである。従つて工事の瑕疵の有無は施設の本来の目的を考慮に入れて右三者の関連において、これを判定することになるわけである。

右の見地から本件ボイラー並にこれに附随する煙突の施設を考えると、前述の認定並に推定事実からして、瑕疵の有無について焦点となるのはボイラー室外に設けられた垂直煙突に関する事項であるが、本件ボイラーは山水閣ホテル従業員数十名の宿舎の浴場のためのもので、ボイラーの使用期間も毎日十二時間程度の長時間に亘ることはすでに判示した通りであるから、右目的の下に工事の設計並に施行がなさるべきものであるところ、前示垂直煙突の設置場所は前述の如く隣家の一心館ホテルの高さ二間余の塀との間の二尺三寸余り、乃至三尺三寸の僅少な間隙に設けられ比較的狭隘な場所であるのに、煙突の資材として一粍の厚さの直径約六寸の鉄板製煙突を使用し、しかも右煙突の外周からボイラー室外側羽目板との距離は八寸を存するにすぎないのみならず、煙突を通すため下屋の庇の軒先を切り取つた部分の切口には杉皮が露出しているのに、この切口を通る煙突の外周と切口との間隔は僅に一、二寸の間隔を存するのみで、この部分に何等防火工作が施されず、煙突の揺れを防ぐために三本の針金で三方より支えてあつただけであつたことを綜合考量すれば、右の如き工事の施設施行はボイラー室外側羽目板並に切口の木質部分を乾燥させ、次第に発火し易い状態を累積するのみならず、煙突の揺れを完全に防止し得ない結果、長時間の使用により灼熱した煙突が切口に接触引火することにより、本件の如き火災発生の危険を包含するものであり、本件ボイラーに関する煙突施設工事には瑕疵があつたばかりでなく、右危険性については、工事の専門技術を有する者乃至工事請負業者(日産土木株式会社が工事請負業者であることは本件弁論の全趣旨より明であるが)にとつては、少くとも、ほんの一寸でも注意をしていたら容易に知り得た筈であることも明であるから、その瑕疵は工事の設計、施行をしたものの重大な過失によるものと云わなければならない。

ところで本件山水閣ホテル従業員宿舎の改造工事は米国第八軍の調達要求により被告国が栃木県知事にその調達の衝に当らせ、同知事が被告国の機関として調達事務処理の一部として、山水閣ホテルに起居を許されない日本人ホテル従業員宿舎設営のため、同県庁の職員である技師飯田信祐をして設計させ、日産土木株式会社に右工事を請負わせ、飯田を工事施行の監督責任者とし、同県庁の職員である技手内山某を工事施行現場監督のため工事現場に常駐させていたことはすでに述べた通りであるが、証人青野英隆、飯田信祐の各証言(各第一回)によれば、右工事(ボイラー室関係を含む)は前述の如く注文者側の県で設計したものではあるが、急速に工事をなす必要から右設計書類を請負人日産土木株式会社に示すことなく、工事現場において、同会社の工事主任に口頭で指示を与へ、同会社より右指示に基く図面を提出し、この図面により工事を施行したもので、正規の設計書類に基き厳格に工事がなされたものではなく細部については工事施行者に委せられていたことが看取できるので、本件工事の瑕疵については注文者である被告国の機関としての栃木県知事並に請負人である日産土木株式会社は何れもその代理人である県庁職員並に被用者である工事施行担当者が、その工事の設計、施行若くは施行監督についてなした前述の重大な過失により他人に与えた損害を賠償する責があるものと断じないわけにはいかない。

右責任は栃木県知事については同知事が被告国の機関として負うものであるから民法第四十四条の法意よりして当然被告国の負担するものであるし、又被告日産建築株式会社については同会社が昭和二十七年二月二十八日日産土木株式会社を合併してその権利義務を承継したことは同被告会社の認めるところであるから、同被告会社において(日産土木株式会社が民法第七百十五条により負担した前述の責任)これを負担するに至つたものである。

そこで、原告等が山水閣ホテル従業員宿舎よりの出火による火災について損害を受けたかどうか、又その損害額はどうかの点を判断する。

(1)  先づ原告庄田幾久男については、成立に争のない甲第一号証、甲第二十三号証の一及び六、同原告本人尋問(第一回)の結果鑑定人堀村勝次郎の鑑定(職権による第二回目のもの)並に検証(第一、二回)の各結果を綜合すれば、本件火災により同原告はその所有に係る別紙目録第一(い)記載の建物並に(ろ)記載(価格欄を除く、以下動産につき同断)の動産が焼失しその焼失当時(昭和二十二年一月、以下同断)の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の価額は金千二百四十万六百九十三円、動産の焼失当時の価額は合計金百七十一万七千百二円を相当とすることを認めることができる。もつとも鑑定人堀村勝太郎の昭和二十八年五月十八日附鑑定書による第一回の鑑定の結果は焼失物件の評価額において、これと異るものがあるけれども、その評価は鑑定当時の昭和二十八年現在のものであるところ、焼失物件の評価は特段の事情の認められない本件では、焼失に因り損害を受けたのであるから、焼失当時の評価によるべきものであり、(この点については契約解除の場合の損害に関して中間最高価額説その他、判決に接着する口頭弁論期日説等もあるが何れも、その合理的根拠にとぼしいところから、判例も区々となつていたが、たとえ焼失後に価額に変動があつたとしても、これによつて焼失による滅失自体による損害額が増減するわけがなく、売買契約解除等の場合には解除によりその後の価格の増減により転売利益がある場合に民法第四百十六条第二項の特別事情による損害として同条の制限の下に賠償を是認しているだけであり、同法条第二項の損害は元来物件自体の評価額の算定時期を定めたものではない)右鑑定の結果は採用できないし、原告庄田本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分も信用できず、他に上叙認定を左右し得る証拠はない。

原告庄田は更に右物件の焼失がなかつたら、山水閣ホテルを米国第八軍の保健寮として経営を継続することができたことを理由とする経営による利益を喪失したとし、この得べかりし利益を損害として計上するが、建物並に動産の焼失による損害は右各物件に代るものであつて、その代償である損害の中には将来その各物件を使用収益、処分できないことの損害が当然に包含されているものと考えなければならない。物件を使用、収益処分することを可能とする権利は所有権であり、物件焼失による上叙認定の損害は所有権喪失に因る損害に外ならないからである。このことは原告庄田が営業利益の得べかりし時期の終期を昭和二十四年五月四日に限定していることが合理的ではないことをも諒解させるものである。何んとなれば焼失物件が存在することを前提とするならば、たとえ米軍保健寮という関係が解消しても、いつまでも山水閣ホテルとしての経営利益が考えられ、原告庄田としては一方において物件焼失による代償の損害賠償を得たに拘らず、他方において、すでに代償を得た焼失物件の利用による利益を得ることとなり、物件が焼失しない場合に比し、却つて利得することとなり、不合理な結果を来すことからも当然に結論できるであろう。

上来説示したところにより原告庄田が本件火災により受けた損害は建物並に動産の焼失当時の価額合計千四百十一万七千七百九十五円であるが、焼失物件は予ねて火災保険に付せられており、その火災保険金三百万円を保険会社より受領したとて、火災による損害金額より右三百万円を控除すべきものであることは原告庄田の自陳するところであるから、この三百万円を控除した残余の千百十一万七千七百九十五円が同原告の受けた現存の損害額である。

(2)  原告沼尾広之助については、成立に争のない甲第二号証、証人浅沼角蔵の証言、同証言により一心舘ホテルの焼失前の建物の設計図であることが認められる甲第二十八号証の一乃至十三、原告広之助本人尋問(第一回)の結果、鑑定人堀村勝太郎の鑑定(第二回)並に検証(第一、二回)の各結果を綜合すれば、本件火災により原告広之助は、その所有に係る別紙目録第二(い)記載の建物並に(ろ)記載の動産が焼失し、その焼失当時の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の価額は金五百四十万五千六百三十四円、動産のそれは合計金八十四万四千七百六十四円を相当とすることを認めることができる。これと趣を異にする鑑定人堀村勝太郎の鑑定の結果(第一回)はすでに原告庄田について述べた理由により採らないし、原告広之助本人尋問の結果(第一回)中、右認定に反する部分は信が措けず、他に右認定を左右できる証拠はない。

なお原告広之助も原告庄田と同様、焼失物件が焼失しなかつた場合における一心舘ホテル経営上の利益を得べかりし利益とし、その喪失による損害を受けた旨主張するが、右利益を損害として計上することのできないことは、原告庄田について判示したところと同様である。

以上判示したところにより本件火災により原告広之助の受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額合計六百二十五万三百九十八円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金八十万円を控除した残余の五百四十五万三百九十八円が現存の損害である。

(3)  原告斎藤伊代子については、成立に争いのない甲第三号証、証人浅沼角蔵の証言、同証言により晃水閣の焼失前の建物の設計図であることが認められる甲第二十九号証の一乃至七、原告伊代子の法定代理人(斎藤フデ)尋問の結果、鑑定人井沢竜暢阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば、本件火災により原告伊代子はその所有に係る別紙目録第三い記載の建物並にろ記載の動産が焼失し、その焼失当時の建物並に動産の価額相当の損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額は金二百五十一万七百十二円、動産のそれは合計金十九万六千百三十円であることが認められる。前掲法定代理人尋問の結果中右認定に沿わない部分は信用しない。その他右認定に反する証拠はない。

原告伊代子は更に前示建物並に動産の焼失により七ケ月間、その経営する温泉旅館営業を休業したことを理由として、右七カ月間に得べかりし営業利益を損害として計上しているが、焼失物件の代償を損害として計上した外に更に右物件による営業利益を損害とすることの不合理であることは原告庄田について述べた通りであるし、又七カ月間の期間についても、何等の根拠がない(同原告は現実に休業した期間であるとしていたが、たとえ現実に休業した期間でも、その期間が相当か否かの問題もあろうし、又休業期間の営業利益が賠償を求め得る損害となるものとすれば、休業をいつまでも続けた方が原告にとつては得であろう。何れにしてもその不合理であることに変りはない)。この点に関する同原告の主張は理由のないものである。

以上により原告伊代子が本件火災により受けた損害は焼失物件当時の価額合計二百七十万六千八百四十二円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金九十七万二千五百円を控除した残余の百七十三万四千三百四十二円が現存の損害である。

(4)  原告檜山全孝については成立に争のない甲第四号証の一、二同原告の法定代理人(檜山スヱノ)尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、向原告は本件火災によりその所有に係る別紙第四(い)記載の建物並に(ろ)記載の動産が焼失し、その焼失当時の相当価額は金三十一万四千四百八十七円、動産のそれは金一万四百二十円であることが認められる。前掲法定代理人尋問の結果中右認定に沿わない部分は信用ができないし、他に右認定に反する証拠はない。

原告檜山全孝も原告斎藤伊代子と同様、同人が焼失物件によつて経営していた飲食店営業の休業期間の営業利益を損害として計上しているが、その理由のないものであることは、原告斎藤伊代子について判示したところにより明である。

以上により原告檜山が本件火災により受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額合計三十二万四千九百七円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金二万二千円を控除した残余の三十万二千九百七円が現存の損害である。

(5)  原告須田銀三については、成立に争いのない甲第五号証、原告須田銀三本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告は本件火災によりその所有に係る別紙目録第五(い)の(イ)(ロ)の建物並に(ろ)記載の動産が焼失しその焼失当時の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額は合計金四十万千二百八十五円、動産のそれは合計金二千六百五十円であることが認められる。前掲原告(須田)本人尋問の結果中、判示に沿はない部分は措信しないし、他に右認定に反する証拠はない。

原告須田もまた同人の焼失建物で営んでいた木工業の休業による休業期間の営業利益を損害として計上する外建物焼失による賃料受領不能を理由とする得べかりし収益を損害と主張するが前者の理由のないことは原告斎藤伊代子について判示した通りであり、後者の理由のないことは、原告庄田について判示した通りで、使用、収益、処分し得ることを内容とする建物所有権喪失の代償である損害の外、その所有権の行使による収益をも損害として計上することの不合理なことは云うまでもない。

(若し原告の云う通り、建物の賃料相当額の損害が、賠償の対象としての損害に計上できるならば、いつまでもその損害を計上できることになり原告主張の期間は一部請求となるが、その到底是認できないことは明であろう)従つて本件火災による損害として、原告須田の主張する右各損害を計上することは理由がないのである。

以上により原告須田が本件火災により受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額総計四十万三千九百三十五円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金四千五百円を控除した残余の三十九万九千四百三十五円が現存の損害である。

(6)  原告阿久津要次郎については成立に争のない甲第六号証、同原告に対する本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告は本件火災によりその所有に係る別紙目録第六記載の建物並に(ろ)記載の動産が焼失し、その焼失当時の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額は金二十六万二千百二十二円動産のそれは合計金一万九千七百八十円であることが認められる。原告阿久津本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は信用が措けないし、他に右認定と相容れない証拠はない。

原告阿久津も焼失建物で営んでいた木工業の休業による営業利益を得べかりし利益として損害に計上するがその理由のないものであることは原告斎藤伊代子についてすでに判示した通りである。

以上により原告阿久津が本件火災により受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額合計二十八万千九百二円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金三万円を控除した残余の二十五万千九百二円が現存の損害である。

(7)  原告青木広治については成立に争のない甲第七号証の一、二同原告本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば同原告は本件火災によりその所有に係る別紙目録第七記載の(い)の建物並に(ろ)記載の動産が焼失し、その焼失当時の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額が金九万八千六百七十二円、動産のそれが金二千三百七十円であることが認められる。原告青木本人尋問の結果中判示に沿わない部分は信用が措けないし、他に右認定に反する証拠はない。

原告青木は本件火災のため、その職業とする大工職の仕事を三ケ月休み、その間得べかり大工としての収益を得られなかつたことを理由として、その収益を本件火災による損害に計上しているが、原告青木本人尋問の結果によれば、原告青木が大工を職業とすること、本件火災により住居が焼失したので三ケ月位大工を休業したことは認められる。けれども、住居の罹災による休業を余儀なくされたとの点は肯認できるにしても、その休業期間が三ケ月を相当とする事情については、これを認め得る証拠がないので右三ケ月間の収益をすべて本件火災による損害として計上することは理由がないものと云うべきである。

以上により原告青木が本件火災により受けた損害は、焼失当時の焼失物件の価額合計十万千四十二円である。

(8)  原告堀内シヅ、堀内ミツ、堀内キヨについては原告堀内シヅが亡堀内光次の妻であり、原告ミツはその長女、原告キヨはその二女として右夫婦間に生れたものであることは、本件当事者間に争がなく、

成立に争のない甲第八号証、原告堀内光次に対する本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば原告堀内シヅは別紙目録第八の(い)の建物を所有し、同原告の亡夫堀内光次は右建物で写真業を営み、右目録(ろ)記載の動産を所有していたが、本件火災により右建物並に動産が焼失し原告シヅは焼失当時の建物の価額に相当する損害を、光次は動産の当時の時価相当の損害を、それぞれ受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額は金十万七千五百七十円、動産のそれは金五万二千八百七十円であることが認められる。原告光次本人尋問の結果中判示に沿わない部分は信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

原告シヅ、ミツ、キヨは堀内光次がその妻原告シヅ所有建物並に光次所有動産の焼失によりその営む写真業を休業したことを理由として、休業期間に得べかりし営業収益を本件火災による光次の損害として計上するが、光次の焼失建物の使用は妻原告シヅの建物所有権の行使の結果に外ならないし、焼失動産の使用収益も光次の所有権の行使によるものであるから、原告庄田幾久男、斎藤伊代子について判示した通り、営業収益を焼失物件の代償である損害の外に、本件火災による損害として計上することは理由のないものである。

以上により本件火災により原告シヅの受けた損害は焼失建物の焼失当時の価額、光次の受けた損害は焼失当時の動産の価額であるが、右建物の価額より原告シヅの控除を自陳する保険金二万円を控除した残余の八万七千五百七十円は原告シヅの受けた現存の損害であり、又動産の前示価額より原告シヅ、ミツ、キヨが控除を自陳する保険金一万五千円を控除した残余の三万七千八百七十円が光次の死亡当時(後記)現存した光次の損害である。

(9)  原告沼尾トシについては、成立に争のない甲第九号証、原告(沼尾トシ)本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告は本件火災によりその所有に係る別紙目録第九記載(い)の建物並にろの動産が焼失し、その建物並に動産の焼失当時の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額が金二十万四千二十円、動産のそれが金七万四千四百円であることが認められる。原告(沼尾トシ本人尋問の結果中判示に沿わない部分は信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

同原告は焼失建物で土産物店を営んでいたが、建物焼失の結果休業したことを理由として、休業期間の営業利益を本件火災による損害として計上しているが、その理由のないことは原告庄田、斎藤(伊代子)について判示した通りである。

以上により原告沼尾トシが本件火災により受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額合計二十七万八千四百二十円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金十五万円を控除した残余の十二万八千四百二十円が現存の損害である。

(10)  原告井口ハツについては成立に争のない甲第十号証、並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果によれば、同原告は本件火災によりその所有に係る別紙目録第十記載の(い)の建物が焼失し、その焼失当時の価額に相当する金二十二方九千八百二十五円の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかし同原告が右目録第十記載の(ろ)の動産を所有しており本件火災により右動産が焼失した事実はこれが認め得る証拠がないし、又同原告が罹災建物で芸妓置屋業を営んでいたが、本件火災のため休業したとの事実もこれを認めることができる証拠がないばかりか、右休業期間において挙げ得べかりし営業収益を本件火災による損害として計上しようとする主張の理由のないことはすでに原告庄田、斎藤について判示した通りである。以上により原告井口ハツが本件火災により受けた損害は焼失建物の価額に相当する額であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金十二万円を控除した残余の十万九千八百二十五円が現存の損害である。

(11)  原告川村ゼンについては成立に争のない甲第十一号証、原告川村清八に対する本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、原告川村ゼンは本件火災によりその所有に係る別紙目録第十一の建物が半焼し、その焼失部分の焼失当時の時価相当の損害を受けたこと、右建物の火災当時の時価は全部で金九万八千四十二円であり、この建物は火災保険に付せられていたが、契約保険金額は十万円であつたところ建物は半焼であつたので、保険金は一万七千円(同原告は一万五千円と述べているが)が同原告に支払われたことが認められる。

原告川村清八に対する本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を左右できる証拠はない。

右認定の事実からすれば、他に特段の事情を認め得る証拠のない本件では、契約保険金十万円は、建物全部の価額と匹敵するものであり、保険会社が保険金を支払うについては、半焼による実損害を認定して支払つたものと推定されるので、半焼(半焼という用語が必ずしも正確に半分焼失したという意味ではないことは云うまでもあるまい)により原告川村ゼンの受けた損害は一万七千円と推定するを相当とし、しかも右損害に対応する保険金は支払われているのであるから、同原告には本件火災による損害は現存しないと云わなければならない。

(12)  原告川村清八については原告川村ゼンについての前掲各証拠により、同原告はその所有に係る別紙第十二記載の動産が本件火災のため焼失し、その焼失当時の価額に相当する金二千五百八十円の損害を受けたことが認められる。同原告本人尋問の結果中右認定と相容れない部分は信用できないし、その他右認定を左右できる証拠はない。

(13)  原告荒井仁平については成立に争のない甲第十二号証の一、二原告(荒井仁平)本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告はその所有に係る別紙目録第十三記載(い)の建物並に(ろ)記載の動産が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物並に動産の価額に相当する損害を受けたこと、右建物の焼失当時の相当価額は金十万五千百四十九円、動産のそれは金二千五百二十円であることが認められる。原告(荒井仁平)本人尋問の結果中判示に沿わない部分は信用が措けないし、他に右認定に反する証拠はない。

右認定により原告荒井仁平が本件火災により受けた損害は焼失物件の焼失当時の価額合計十万七千七百二十九円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金八万八千円を控除した残余の一万九千八百二十九円が現存の損害である。

(14)  原告根本豊については成立に争のない甲第十三号証、並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果によれば、同原告はその所有に係る別紙目録第十四記載の建物が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する二十六万八千九百六十円の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

従つて同原告が本件火災により受けた損害は右二十六万八千九百六十円となるところ、これより同原告の控除を自陳する保険金九万九千五百円を控除した残余の十六万九千四百六十円が現存の損害である。

(15)  原告益子一恵、益子定幸、益子ヤス、益子次郎については原告一恵が亡益子信義の妻であり、原告定幸、ヤス、次郎が信義、一恵夫婦の間に生れたそれぞれ長男長女、二男であることは本件当事者間に争がなく、

成立に争のない甲第十四号証並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果によれば、亡益子信義はその所有に係る別紙目録第十五記載の建物が本件火災により焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する金五万三千五十二円の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告一恵、定幸、ヤス、次郎等は右建物は他へ賃貸中のものであつたことを理由として建物焼失後の得べかりし賃料をも、本件火災による損害として計上しているが、その理由のないことはすでに原告庄田、須田について判示した通りである。

以上により信義が本件火災により受けた損害は前述の如く五万三千五十二円であるが、これより上叙原告等が控除を自陳する保険金九千円を控除した残余の四万四千五十二円が信義死亡当時(後記)現存の損害である。

(16)  原告池田祐三郎については、成立に争のない甲第十五号証、原告(池田祐三郎)本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば同原告はその所有に係る別紙目録第十六記載の(イ)乃至(ハ)の建物が本件火災に罹り焼失し、その焼失当時の建物の価額に相当する金十七万七千九百八十九円の損害を受けたことが認められる。同原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を覆へすに足りる証拠はない。

同原告は右建物のうち、(ハ)の建物を他へ賃貸していたことを理由として、建物焼失後の得べかりし賃料を本件火災による損害として計上するが、その理由のないことは原告庄田、須田について判示した通りである。

(17)  原告沼尾周次郎については成立に争のない甲第十六号証の一、二、同原告本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告はその所有に係る別紙目録第十七記載の(イ)(ロ)二棟の建物が本件火災に罹り焼失し、その焼失当時の建物二棟の価額に相当する金三十五万三千六百一円の損害を受けたことが認められる。同原告に対する本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

同原告は右各建物をそれぞれ他へ賃貸していたことを理由として建物焼失後の得べかりし賃料を本件火災による損害として計上するが、その理由のないことは原告庄田、須田についてすでに判示した通りである。

以上により原告沼尾周次郎が本件火災により受けた損害は三十五万三千六百一円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金三万円を控除した残余の三十二万三千六百一円が現存の損害である。

(18)  原告山田吉美については成立に争のない甲第十七号証、並に鑑定人、井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果によれば、同原告はその所有に係る別紙目録第十八記載の建物が本件火災により焼失し、焼失当時の建物の価額に相当する金十七万二千八百七十八円の損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

同原告は右建物が他へ賃貸中であつたことを理由として、建物焼失後の得べかりし賃料を本件火災による損害として計上するが、その理由のないことは原告庄田、須田について判示した通りである。

(19)  原告古賀訓令については成立に争のない甲第十八号証、原告池田祐三郎、古賀訓令に対する各本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、原告古賀は原告池田よりその所有に係る別紙目録第十六記載の(ハ)の建物を賃借し、右建物で古物商を営んでいたものであるが、本件火災によりその所有に係る別紙目録第十九記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する金千七百五十円の損害を受けたことが認められる。原告古賀本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

原告古賀は古物商であり、本件火災のため三ケ月間営業を休業したことを理由として右休業期間中得べかりし営業収益を本件火災による損害として計上するが、本件火災により三ケ月間の休業を余儀なくされた事情についてはこれを認め得る何等の証拠もないばかりでなく、同原告の営業活動は、原告池田より賃借した建物の使用権に基くものであるから、本件火災により右建物使用権原である賃借権の喪失による損害ならば格別、三ケ月休業中の営業収益を損害として計上するのは、本件火災による営業活動の休止が真実余儀ないものと認められる期間を確定できる証拠のない本件では右三ケ月間の得べたりし営業収益を漫然本件火災による損害として計上することは前述の原告青木の場合と同様理由のないものと云わなければならない。

以上により原告古賀が本件火災により受けた損害は千七百五十円であるが、これに対し同原告は火災保険金二千円の交付を受けた旨自陳するので、同原告が本件火災により受けた前示損害は補填されて現存しないものと云わざるを得ない。

(20)  原告大網秀子については成立に争のない甲第十九号証、同原告本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎の共同鑑定の結果を綜合すれば、同原告は訴外日本鉱業株式会社(同原告本人尋問調書に日本工業株式会社と記載あるも訴状その他に徴し日本鉱業株式会社の誤記と認められる)より借受けた建物に居住していたが、本件火災によりその所有に係る別紙目録第二十記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する金九万千六百五十円の損害を受けたことが認められる。同原告に対する本人尋問の結果中、判示と相容れない部分は信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

右の如く同原告が本件火災により受けた損害は九万千六百五十円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金五万円を控除した残余の四万千六百五十円が現存の損害である。

(21)  原告鈴木正男については成立に争のない甲第二十号証、原告池田祐三郎、鈴木正男に対する各本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば、原告鈴木は別紙目録第十六記載の(イ)(ロ)の建物を借受けて居住していたが、本件火災によりその所有に係る別紙目録第二十一記載の動産が焼失し、その焼失当時の動物の価額に相当する金二万二百円の損害を受けたことが認められる。原告鈴木に対する本人尋問の結果中判示に反する部分は信用できないし、他に右認定を左右できる証拠はない。

(22)  原告渡辺フヂについては成立に争のない甲第二十一一号証原告須田銀三、渡辺フヂに対する各本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果を綜合すれば原告渡辺は別紙目録第五記載の(い)の(ロ)の建物を原告須田より賃借し右建物において芸妓置屋を営んでいたが、本件火災に罹りその所有に係る別紙目録第二十二記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する金一万三千九十円の損害を受けたことが認められる。原告渡辺本人尋問の結果中判示に反する部分は信用が措けず、他に右認定に反する証拠はない。

原告渡辺は本件火災のためその営業を二ケ月間休業したことを理由として、右休業期間に得べかりし営業収益を本件火災による損害として計上するが、その理由のないものであることは、原告古賀について判示した通りである。

以上により本件火災により原告渡辺が受けた損害は一万三千九十円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金七千円を控除した残余の六千九十円が現存の損害である。

(23)  原告飯田ヒサについては、成立に争のない甲第二十二号証、原告飯田ヒサ本人尋問の結果並に鑑定人井沢竜暢、阿形初太郎共同鑑定の結果綜合すれば、同原告は原告根本豊所有の建物に居住し、料理屋を営んでいたが本件火災に罹り、その所有に係る別紙目録第二十三記載の動産が焼失し、その焼失当時の動産の価額に相当する金一万八千七十円の損害を受けたことが認められる。原告飯田本人尋問の結果中判示に反する部分は信用ができないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告飯田も本件火災のためその営業を五ケ月間休業したことを理由として、右休業期間に得べかりし営業収益を本件火災による損害として計上するがその理由のないことは原告古賀について判示した通りである。

以上により原告飯田が本件火災により受けた損害は一万八千七十円であるが、これより同原告が控除を自陳する保険金九千五百円を控除した残余の八千五百七十円が現存の損害である。

上来説示したところにより(1) 乃至(7) の各原告、(8) の原告堀内シヅ、亡堀内光次、(9) 、(10)、(12)乃至(14)の各原告、(15)の亡益子信義、(16)乃至(18)、(20)乃至(23)の各原告はそれぞれ右各項に判示した同人等の受けた現存の損害の賠償を被告等(連帯)に対し求め得る権利あるところ、

堀内光次は昭和二十九年九月十一日死亡し原告堀内シヅ、堀内ミツ、堀内キヨの三名において光次の遺産相続をしたことは被告等の認めるところであるから光次の本件損害賠償債権も、相続分に応じ分割承継され、原告シヅは(8) に判示した固有の債権額と光次の債権額の三分の一とを合算した十万百九十三円、原告ミツ、キヨは各金一万二千六百二十三円の賠償請求権を有することとなり、

又益子信義も昭和二十五年二月三日死亡し原告益子一恵、定幸、ヤス、次郎の四名が信義の遺産相続をしたことも被告等の認めるところであるから、信義の(15)に判示した本件損害賠償債権も相続分に応じて右四分に分割承継され原告一恵は右債権額の三分の一に相当する一万四千六百八十四円原告定幸、ヤス、次郎は残余の三分の二の三分の一に相当する金九千七百八十九円宛の賠償請求を有するに至つたものと云わざるを得ない。

してみれば被告等各自(連帯の趣旨に対し、主文において支払を命じた金員(年五分の後記損害金の部分を除く)と右各金員に対する本件訴状が各被告に送達された日の後であることが当裁判所に明白な昭和二十四年七月三日以降各完済までの民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度において原告川村ゼン、古賀訓令以外の各原告の本訴請求は正当であるが、その余の部分の請求は失当であつて棄却を免れない。

原告川村ゼン、古賀訓令についてはすでに判示したところにより火災により受けた損害はすでに補填され現存しないので、損害賠償を求める権利はないので、同原告等の本訴請求は全部失当として棄却さるべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条第一項後段を適用し、仮執行の宣言はその必要を認めないので、その申立をここに棄却して主文のとおり判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 小河八十次 裁判官大内淑子は差支につき署名捺印することができない。)

別表

原告名      請求金額  円

庄田幾久雄  三二、九三四、九七五〇〇

沼田広之助  一三、七〇八、一九〇〇〇

斎藤伊代子   七、一一八、九〇〇〇〇

檜山全孝      九〇三、七〇〇〇〇

須田銀三    一、二八九、二六〇〇〇

阿久津要次郎    九四六、四〇〇〇〇

青木広治      二三七、三七五〇〇

堀内シヅ      四九五、三〇〇〇〇

堀内ミツ      二〇七、三〇〇〇〇

堀内キヨ      二〇七、三〇〇〇〇

沼尾トシ    一、二三九、九五〇〇〇

井口ハツ    一、〇七八、九〇〇〇〇

川村ゼン      一七六、一〇〇〇〇

川村清八       二五、〇〇〇〇〇

荒井仁平      四五一、〇〇〇〇〇

根本豊       七〇八、二〇五〇〇

益子一恵       四二、六八〇〇〇

益子定幸       二八、四五七〇〇

益子ヤス       二八、四五七〇〇

益子次郎       二八、四五七〇〇

池田祐三郎     六四八、三四〇〇〇

沼尾周次郎     七八八、七三〇〇〇

山田吉美      五〇八、四〇〇〇〇

古賀訓令       三五、七三五〇〇

大網秀子      九六九、七〇〇〇〇

鈴木正男      三〇二、一〇〇〇〇

渡辺フヂ      三一〇、六五〇〇〇

飯田ヒサ      一五一、二〇〇〇〇

目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例